鎖骨素麺

だいたいアニメとゲームとVの世界
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うまいとかなんとか

うまいとかなんとか

福島にいる親戚から素敵なものをいただいてしまった〜!うひょ〜っ!\( ˆoˆ )/
チーズ大好き鴨も大好き!冬は粕汁をつくるために買った酒粕でクリームチーズの酒粕&味噌漬けとか作るくらい発酵食品万歳ウーマンな私です!今日は早速、八丁味噌のを食べました!美味しかった!


全然関係ないんですけどふと気になって
文章の上手い下手ってどういう基準?感覚?で決まるんですかね´`?

絵は何となく、パースが狂ってないとか、書き込みが緻密だとか、そういうところなのかな。それを崩して描いてあるけど勢いを感じるものだったり、極端にデフォルメした絵で癖が強いものだったり、その描かれているものへの愛をめちゃくちゃ感じるものだったり。それは必ずしも「上手い」絵じゃないかもしれないけど、「好き」な絵にはなる。もちろん「上手い」からこそ「好き」になることもあるけれど。

文章の上手い下手って考えたら……うーん……?よくわからん。
句読点がどうこうとか三点リーダーがどうとかっていうのは絵でいうところのパースかなって思ったんですけど、別にそこそこそういうルールを破っていても「上手い」と思う文章は「上手い」と思うんですよね。むしろ正しい言葉遣いとかがパースにあたるのかな?
読みやすい文章が上手い……とかだと、絵よりも人によって意見が分かれそう。

意外と(意外か?)絵よりも文章のほうが「好き」っていう曖昧な感情で選びがちなんですかね、わからんけど。
言葉の選び方が天才的でスパーンってハマって心掴まれたら「好き!」ってなっちゃうんですよね。いつまでも忘れられないシーンとか、台詞とか、ありますよね。そういうの書く人の頭のなか、パカッと開いて見てみたい。
一枚絵じゃなくマンガになると、同じように言葉の選び方でも惹かれたりしますね!

二次にせよ一次にせよ、描く対象の魅力を表現しきれなくてそこがもどかしくて「絵が上手くなりたい!」って思うことはあっても、絵が上手くなること自体が目的になったことはない気がします。かわいい!って思った子をかわいく描きたい、かっこいい!って思った子をかっこよく描きたい。あくまでも目的はそっちで、絵が上手くなればそれをより表現できるかもしれない……っていう感じなのかな……?
あと「絵が上手くなりたい!」って口にしていいほど、枚数描いてないし努力してないんですよね。他人が言うのは別にいいというか何も思わないんですけど、自分が軽くそう言うのは自分自身があんまり良い気がしないです。「痩せたいわ〜」って言いながらゴロゴロしてポテチ食べてるみたいでしょ(?)

そんな感じで絵は「上手くなりたい」が1ミリも無いわけではないんですけど、文章は「上手くなりたい」って思うところまでいかないというか、やっぱり「上手いとはなんぞや」になってしまうというか。

前にテレビで観た何かの番組で仏様を彫っている彫刻家さんが「自分が彫刻の形を作ってるわけじゃなくて木の中に仏様がいるのを彫り出しているんだ」って言ってたんですけど、そのとき私は文章を書くことってその行動に近いと思ったんです。上で書いた「言葉の選び方が天才的でスパーンってハマって心が掴まれる」文章を書く人は、「ちゃんと彫れている」感じがするんですよね。登場人物がいて、そこに生活があって、話の流れが、感情の動きがあって。その輪郭をちゃんと彫れている文章はとてつもなく刺さる。
だから私にとって「上手い文章」は「ちゃんと彫れている文章」なのかもしれないですね。すごく感覚的な話。

なんでこんな話しているかというと、病んでいるわけでも何か悩んでいるわけでもなく。きのう「LINEノベル」が発表されて、また色んな文章を読む機会が増えるなーと思ってそれから考えてました。LINEノベルは書く側にとっても読む側にとっても、そして出版社にとっても面白いことになりそうで楽しみです!わくわくヽ(・▽・)ノ


「絵の上手さはこうだと思うけど文章の上手さとは?」って感じで書きはじめてたんですけど、ぶっちゃけ絵に関しても「上手い」の言語化はできないです。「好き」だけじゃなく「上手い」も基準はどうしたって人による気がするんですけど、どうですかね(とは)
絵も文章も「上手い」と思うもの、「好き」と感じるもの、たくさんあります。これからもずっと、もっともっと、いろんなものに触れていきたいです。

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